自分自身の「才能=適性」について人生の序盤で把握できると有利だ。適性のある分野の勉強や鍛錬に時間を集中して投下できれば競争で勝つ確率(=生存率)が飛躍的に高まる。しかしながら、自分自身の39年間を振り返っても「自分の才能」を理解するのは簡単なことではなかった。
くたずみん自身は、幸運にも「適性が高い分野」と「あまり適性のない分野」の両方をどっぷり経験することができた。若い世代へのヒントとして「才能の見つけ方」についての情報をできるだけ実際の人生で役に立てやすい形で伝えられればと思う。
レジュメは以下の通りだ。
1:才能は「ある/なし」というよりは「高い/低い」である
2:「好き」にも度合いがある
3:才能の程度は時間を投資しなければわからない場合がある
4:頑張ってないのに他人に褒められる場合は適性が高い
5:適正が低いと低レベルの課題に没頭してしまう
くたずみん自身は、幸運にも「適性が高い分野」と「あまり適性のない分野」の両方をどっぷり経験することができた。若い世代へのヒントとして「才能の見つけ方」についての情報をできるだけ実際の人生で役に立てやすい形で伝えられればと思う。
レジュメは以下の通りだ。
1:才能は「ある/なし」というよりは「高い/低い」である
2:「好き」にも度合いがある
3:才能の程度は時間を投資しなければわからない場合がある
4:頑張ってないのに他人に褒められる場合は適性が高い
5:適正が低いと低レベルの課題に没頭してしまう
1:才能は「ある/なし」というよりは「高い/低い」である
「あいつには才能がある」「自分には才能がない」というような言い方をよくするが、実際には「才能=適性」というものは「ある/なし」というよりは、もっと段階を持ったものだ。
たとえば「絵を描く才能」の場合
レベル1:絵が上手いといわれるがプロにはなれない才能
レベル2:プロとしてギリギリ食っていける才能
レベル3:プロとして十分に生存できる才能
レベル4:プロの中でも上位の才能
レベル5:世界でトップクラスの才能
みたいなイメージだ。
くたずみんの場合、イラストは「レベル1」それ以外のビジュアルデザイン能力は「レベル3」というようなイメージである。「才能の見極め」というのは、自分の才能がどの程度の水準なのかを確認するという事だ。ではどうしたら確認できるのだろう。

まず才能の指針になるのは「好き/興味がある」だ。実際に見極めるには、これに「やってみて、どうだったか」が加わる。
例えばくたずみんの場合「フィギュア造形」がめちゃくちゃ好きでワンフェスにいったり、食玩を集めたり、スカルピー(造形用粘土)で簡単な造形を楽しんだりしていた。あまりに好きだったので「実際にフィギュアを作ってみよう!」と鼻息荒くフィギュア造形の教室に通ってみた。
…結果は、なんと1作品も完成させることもできずに熱が冷めてしまったのだ。あれだけあった「好き/興味がある」が、ウソのように消え去ってしまった。
「漫画家になりたい」なら1作品描き上げる。
「小説家になりたい」なら1作品書き上げる。
「YouTuberになりたい」なら動画を1つ制作してアップする。
「ゲームクリエイターになりたい」ならゲームを1本つくる。
もし作品を作りきることもなく、熱が冷めてしまったら、それはそれでOK。「好き/興味がある」の程度が早く知れたという意味で大成功だ。「誰にも負けないくらい好き!」と思っていたのに実際にやってみたら「なんか熱がさめちゃった」というのは気恥ずかしいが、面倒で地味な作業の連続をくぐり抜けて「それでも好き」と思えるかどうかは、やはり、やってみなければわからない。それを確かめるためにも、興味のある事はとにかく実際にやってみよう。

2:「好き/興味がある」には度合いがある。
くたずみんは歌が好きだ。高校生の頃なんかは毎日三時間ぐらい自宅の部屋で練習していて(近所迷惑だった)友人からも歌が上手いと褒められた。自分でもそう思っていた。
月日は流れ、社会人になってから、カラオケ好きの友人ができた。そいつは2~3日連続でカラオケに行くのも全然OKという「もの凄い歌好き」でくたずみんとは次元が違うレベルで歌が上手かった。くたずみんは歌は好きだけど、カラオケに1回いったら1週間は「もういいや」となってしまう。「好き/興味がある」のレベルが全然違うのだ。
10年ほどプロとしてやってきたビジュアルデザインについても似たような事があった。
会社で毎日8時間、ビジュアル制作と向き合うと、正直「もういいや」となってしまう。家に帰ってから自分のイラストを描く気には、全くなれなかった。しかし、新入社員として配属された某デザイナーは、なんと仕事の休み時間に、ストレス発散と称して仕事と関係ないイラストを描いて、さらに8時間働いて、家に帰ってからもイラストを描いていたのだ。
「絵が好き」のレベルが違いすぎる!
くたずみんは、8時間作業をしてプロとして成果を出せる程度にはビジュアルデザインが好きだが、それ以上ではない。自分の「好き」が競合する他者と比較してどのレベルかというのは専門家集団の中に入ると、かなりハッキリする。「これは勝てない」と感じたら、素直に撤退するのも手だ。そこにいくために何年積み重ねていたとしても自分に適した場所でないとわかったなら、より適した場所を探したほうがよい。

3:才能の程度は時間を投資しなければわからない場合がある
くたずみんの「フィギュア造形」は数か月の挑戦で適性がそれほどでない事がわかった。しかし「イラスト制作」は適性があまりない事を自覚するのに4年以上、もしかすると8年近い歳月が必要だった。
ずっと自分はイラストが上手いと信じていたし、才能がある事を信じて疑わなかった。今振り返ってみれば「下手の横好き」というやつなのだけど高校生~大学生当時のくたずみんはイラスト制作くらいしか戦える武器がなくまた、その能力が自尊心の柱だった。
例えばイラストの場合だと、人体のバランスに関する知識を得れば、その分上手くなるように、ある程度までは努力に比例して能力が成長する。しかし、そこから先は自分のイラストの強みと弱みを自覚し、世間のトレンドを把握して、自分なりの立ち位置を模索する必要がある。イラストで食っていきたいなら、有償で依頼されるだけの理由が画面に必要なのだ。
くたずみんは、そこでがっつり躓いた。そもそもそういうのが必要という認識に到達できなかった。肥大化した自意識と実際の実力に折り合いがつかず自分の周囲の市場環境がどうなっているかを冷静に分析することもできなかった。結局どうにもならず「絵は描かないと上手くならない」と「何を描けばいいかわからない」の間で何も描けなくなった。気が付けば、何年もイラストを描いていなかった。
結局、3DCGやゲームなどイラスト以外の部分で制作をつづけビジュアルデザイナーとしてプロになる事はできたが今でもイラスト制作は「費用対効果がすこぶる悪い=適性の低い」苦手科目である。「イラスト、そんなに適性ないな」とハッキリわかるまで、ずいぶんと時間がかかった。努力すればしただけ能力が延びる時間帯の、さらにその先までいって、ようやく適性の度合いがわかるという事がある。

4:頑張ってないのに他人に褒められる場合は適性が高い
これは任天堂の社長だった故・岩田聡さんがおっしゃっていた事だ。(元記事がめちゃくちゃ良いので是非読んでほしい)
https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20141226033/index_3.html
くたずみんの場合は「ゲームデザイン」がコレにあたる。専門家集団というのは基本的にみんな「努力している」ので平均水準の努力でめちゃくちゃ褒められるというのは、あまりない。その中で、普通にしているだけでも「成果を上げられる」「周囲が助かる/褒めてくれる」というのは適性が高い可能性がある。
一つのポイントは「息をするように努力できること」がどれくらいあるかだ。ゲームデザインの場合だと、最新のゲームデザインのトレンドを追いかけたりレガシーなゲームデザインを後追いで学習したり普段遊んでいるゲームのUXから、仕様を脳内で逆算したり。そういった事は人によっては「頑張ってやる努力」になるが、人によっては「息をするように努力できる」ことなのだ。
くたずみんの場合、イラストは「頑張ってやる努力」が多かったがゲームデザインは「息をするように努力できる」ことが多かった。実際にプランナーに転向してから、なんやかんや成果を上げて2年半ほどでゲームディレクターにまでなることができた。ビジュアルデザイナーとして仕事をしていた時は「置いていかれないように必死」だったが、プランナーに転向してからは、そういった感覚が全く無く、景色の違いに驚いた。適性の高い分野で戦う事は、楽で、楽しくて、周りの人達を喜ばせることができた。

5:適正が低いと低レベルの課題に没頭してしまう
振り返って、ゲームデザインをやっている時の自分(高適性)とイラストを描いている時の自分(低適性)を比較してわかった事がある。イラストを描いているときは「低レベルの課題に没頭している」のだ。効果がそれほど高くない箇所にエネルギーを過剰に割いている。そして、その作業が楽しくてたまらないのだ。(=下手の横好き)
それはそれで、趣味としてやる分にはよいのだが仕事としては、かけた時間に対して成果がなかなか上がらない。対して、ゲームデザインでは、ほとんどの場合、頭はひんやりと冷静で興奮して没頭するのは、費用対効果の高い、ほんのわずかの箇所だけなのだ。(ゲームデザインの大半は、機械的に最も効果の高い選択をしている。)
なかなかゲームデザインで成果を上げられない人を見ていると「費用対効果の低い、KPIが1ミリも動かない、UXもさほど向上しない事に、何故こんなに情熱的に時間をかけて議論しているんだろう?」と思うことが、たまにある。これは、適性を逆の立場にしてみると納得がいく。絵の上手い人たちが、くたずみんのイラスト制作工程をみて「ああ、いつまでそんなとこ熱中して描き込んでるんだろう。あんまり効果ないのにな」「なんで絵のコンセプトも見せ方も決めず、いきなり描き始めるんだろ?成果上がるわけないじゃん」なんて思ったりするのと同じだろう。(繰り返すが、低レベルの課題に没頭して楽しい事は、悪い事ではない。ただ、成果が上がらない=下手の横好きになるだけだ。)
以上が、39年間を死に物狂いで駆け抜けながら得た「才能/適性」についての輪郭だ。くたずみんの掴んだ知見が、少しでも若い世代の助けになれば嬉しい。

「あいつには才能がある」「自分には才能がない」というような言い方をよくするが、実際には「才能=適性」というものは「ある/なし」というよりは、もっと段階を持ったものだ。
たとえば「絵を描く才能」の場合
レベル1:絵が上手いといわれるがプロにはなれない才能
レベル2:プロとしてギリギリ食っていける才能
レベル3:プロとして十分に生存できる才能
レベル4:プロの中でも上位の才能
レベル5:世界でトップクラスの才能
みたいなイメージだ。
くたずみんの場合、イラストは「レベル1」それ以外のビジュアルデザイン能力は「レベル3」というようなイメージである。「才能の見極め」というのは、自分の才能がどの程度の水準なのかを確認するという事だ。ではどうしたら確認できるのだろう。

まず才能の指針になるのは「好き/興味がある」だ。実際に見極めるには、これに「やってみて、どうだったか」が加わる。
例えばくたずみんの場合「フィギュア造形」がめちゃくちゃ好きでワンフェスにいったり、食玩を集めたり、スカルピー(造形用粘土)で簡単な造形を楽しんだりしていた。あまりに好きだったので「実際にフィギュアを作ってみよう!」と鼻息荒くフィギュア造形の教室に通ってみた。
…結果は、なんと1作品も完成させることもできずに熱が冷めてしまったのだ。あれだけあった「好き/興味がある」が、ウソのように消え去ってしまった。
「漫画家になりたい」なら1作品描き上げる。
「小説家になりたい」なら1作品書き上げる。
「YouTuberになりたい」なら動画を1つ制作してアップする。
「ゲームクリエイターになりたい」ならゲームを1本つくる。
もし作品を作りきることもなく、熱が冷めてしまったら、それはそれでOK。「好き/興味がある」の程度が早く知れたという意味で大成功だ。「誰にも負けないくらい好き!」と思っていたのに実際にやってみたら「なんか熱がさめちゃった」というのは気恥ずかしいが、面倒で地味な作業の連続をくぐり抜けて「それでも好き」と思えるかどうかは、やはり、やってみなければわからない。それを確かめるためにも、興味のある事はとにかく実際にやってみよう。

2:「好き/興味がある」には度合いがある。
くたずみんは歌が好きだ。高校生の頃なんかは毎日三時間ぐらい自宅の部屋で練習していて(近所迷惑だった)友人からも歌が上手いと褒められた。自分でもそう思っていた。
月日は流れ、社会人になってから、カラオケ好きの友人ができた。そいつは2~3日連続でカラオケに行くのも全然OKという「もの凄い歌好き」でくたずみんとは次元が違うレベルで歌が上手かった。くたずみんは歌は好きだけど、カラオケに1回いったら1週間は「もういいや」となってしまう。「好き/興味がある」のレベルが全然違うのだ。
10年ほどプロとしてやってきたビジュアルデザインについても似たような事があった。
会社で毎日8時間、ビジュアル制作と向き合うと、正直「もういいや」となってしまう。家に帰ってから自分のイラストを描く気には、全くなれなかった。しかし、新入社員として配属された某デザイナーは、なんと仕事の休み時間に、ストレス発散と称して仕事と関係ないイラストを描いて、さらに8時間働いて、家に帰ってからもイラストを描いていたのだ。
「絵が好き」のレベルが違いすぎる!
くたずみんは、8時間作業をしてプロとして成果を出せる程度にはビジュアルデザインが好きだが、それ以上ではない。自分の「好き」が競合する他者と比較してどのレベルかというのは専門家集団の中に入ると、かなりハッキリする。「これは勝てない」と感じたら、素直に撤退するのも手だ。そこにいくために何年積み重ねていたとしても自分に適した場所でないとわかったなら、より適した場所を探したほうがよい。

3:才能の程度は時間を投資しなければわからない場合がある
くたずみんの「フィギュア造形」は数か月の挑戦で適性がそれほどでない事がわかった。しかし「イラスト制作」は適性があまりない事を自覚するのに4年以上、もしかすると8年近い歳月が必要だった。
ずっと自分はイラストが上手いと信じていたし、才能がある事を信じて疑わなかった。今振り返ってみれば「下手の横好き」というやつなのだけど高校生~大学生当時のくたずみんはイラスト制作くらいしか戦える武器がなくまた、その能力が自尊心の柱だった。
例えばイラストの場合だと、人体のバランスに関する知識を得れば、その分上手くなるように、ある程度までは努力に比例して能力が成長する。しかし、そこから先は自分のイラストの強みと弱みを自覚し、世間のトレンドを把握して、自分なりの立ち位置を模索する必要がある。イラストで食っていきたいなら、有償で依頼されるだけの理由が画面に必要なのだ。
くたずみんは、そこでがっつり躓いた。そもそもそういうのが必要という認識に到達できなかった。肥大化した自意識と実際の実力に折り合いがつかず自分の周囲の市場環境がどうなっているかを冷静に分析することもできなかった。結局どうにもならず「絵は描かないと上手くならない」と「何を描けばいいかわからない」の間で何も描けなくなった。気が付けば、何年もイラストを描いていなかった。
結局、3DCGやゲームなどイラスト以外の部分で制作をつづけビジュアルデザイナーとしてプロになる事はできたが今でもイラスト制作は「費用対効果がすこぶる悪い=適性の低い」苦手科目である。「イラスト、そんなに適性ないな」とハッキリわかるまで、ずいぶんと時間がかかった。努力すればしただけ能力が延びる時間帯の、さらにその先までいって、ようやく適性の度合いがわかるという事がある。

4:頑張ってないのに他人に褒められる場合は適性が高い
これは任天堂の社長だった故・岩田聡さんがおっしゃっていた事だ。(元記事がめちゃくちゃ良いので是非読んでほしい)
https://www.4gamer.net/games/999/G999905/20141226033/index_3.html
くたずみんの場合は「ゲームデザイン」がコレにあたる。専門家集団というのは基本的にみんな「努力している」ので平均水準の努力でめちゃくちゃ褒められるというのは、あまりない。その中で、普通にしているだけでも「成果を上げられる」「周囲が助かる/褒めてくれる」というのは適性が高い可能性がある。
一つのポイントは「息をするように努力できること」がどれくらいあるかだ。ゲームデザインの場合だと、最新のゲームデザインのトレンドを追いかけたりレガシーなゲームデザインを後追いで学習したり普段遊んでいるゲームのUXから、仕様を脳内で逆算したり。そういった事は人によっては「頑張ってやる努力」になるが、人によっては「息をするように努力できる」ことなのだ。
くたずみんの場合、イラストは「頑張ってやる努力」が多かったがゲームデザインは「息をするように努力できる」ことが多かった。実際にプランナーに転向してから、なんやかんや成果を上げて2年半ほどでゲームディレクターにまでなることができた。ビジュアルデザイナーとして仕事をしていた時は「置いていかれないように必死」だったが、プランナーに転向してからは、そういった感覚が全く無く、景色の違いに驚いた。適性の高い分野で戦う事は、楽で、楽しくて、周りの人達を喜ばせることができた。

5:適正が低いと低レベルの課題に没頭してしまう
振り返って、ゲームデザインをやっている時の自分(高適性)とイラストを描いている時の自分(低適性)を比較してわかった事がある。イラストを描いているときは「低レベルの課題に没頭している」のだ。効果がそれほど高くない箇所にエネルギーを過剰に割いている。そして、その作業が楽しくてたまらないのだ。(=下手の横好き)
それはそれで、趣味としてやる分にはよいのだが仕事としては、かけた時間に対して成果がなかなか上がらない。対して、ゲームデザインでは、ほとんどの場合、頭はひんやりと冷静で興奮して没頭するのは、費用対効果の高い、ほんのわずかの箇所だけなのだ。(ゲームデザインの大半は、機械的に最も効果の高い選択をしている。)
なかなかゲームデザインで成果を上げられない人を見ていると「費用対効果の低い、KPIが1ミリも動かない、UXもさほど向上しない事に、何故こんなに情熱的に時間をかけて議論しているんだろう?」と思うことが、たまにある。これは、適性を逆の立場にしてみると納得がいく。絵の上手い人たちが、くたずみんのイラスト制作工程をみて「ああ、いつまでそんなとこ熱中して描き込んでるんだろう。あんまり効果ないのにな」「なんで絵のコンセプトも見せ方も決めず、いきなり描き始めるんだろ?成果上がるわけないじゃん」なんて思ったりするのと同じだろう。(繰り返すが、低レベルの課題に没頭して楽しい事は、悪い事ではない。ただ、成果が上がらない=下手の横好きになるだけだ。)
以上が、39年間を死に物狂いで駆け抜けながら得た「才能/適性」についての輪郭だ。くたずみんの掴んだ知見が、少しでも若い世代の助けになれば嬉しい。

コメント
コメント一覧 (7)
攻略教えてください
今さっき、13レベまで全クリしたけど、前のバージョンの方がオモロかった
リセット機能昔は速い段階でできたからやる気出たから
曜日クエストの報酬が美味しくないし、何しろノーマルでリセットなしの全クリは難しいし、全クリしたらリセット機能出てきたけど正直難しくてやめようかなって思った
ランキングを見ると全クリした時点で350位ぐらいだったから
やっぱりこのゲームノーマルの時点で難しすぎてやめる人が多いっぽい
前バージョンと比べて継続率が大幅に向上したという結果がでていますので
「お客様の理解に合わせて段階的に機能を解放する」
「機能解放のたびに、説明をしっかりと挟む」
といったことを徹底した点につていては成果が上がったと考えています。
ノーマルの時点で難しいからやめているのか
簡単であっても、どのみちやめる人だったのか
その区別は難しいものと考えています。
「難易度を下げれば継続率が上がる」というご主張かと思いますが
いざ難易度を下げると「ヌルゲーすぎ、前の方がよかった」
と言われるところまでセットでイメージできてしまい
また個人的にはそれで継続率が向上するというイメージも
わかないため、やりません。
今回の適正の話も、自分が今ちょうど悩んでいたので、参考になりました
今回の適正の話も、自分がちょうど悩んでいたので、参考になりました。
スミマセン
ありがとうございます。
この記事全然リアクションなかったので、
そう言っていただけて本当に嬉しいです。